2020-02-12 第201回国会 衆議院 予算委員会 第11号
農耕民族とされる日本人の中にあって珍しいハンターである漁業者の皆様が本当に欲しているのは、減船補償ではありません。つまり、お金ではなくて、思い切り、狩り、すなわち漁ができる環境、目の前に豊かな獲物のイカの群れが存在して、思う存分釣り上げられる漁業環境であると確信をいたします。
農耕民族とされる日本人の中にあって珍しいハンターである漁業者の皆様が本当に欲しているのは、減船補償ではありません。つまり、お金ではなくて、思い切り、狩り、すなわち漁ができる環境、目の前に豊かな獲物のイカの群れが存在して、思う存分釣り上げられる漁業環境であると確信をいたします。
本来は、農耕民族でございますから、優しい心でございまして、そうそう人を殺すというのはなかったわけですが、最近の傾向を見ていますと、夫婦で殺し合う、親子で殺し合う、そしてまた友達で、簡単に、わずかな金で殺し合う、そういうことが毎日のように出てくるわけであります。それできょうは冒頭で質問させていただきました。 日本、農耕民族の生来の優しい心根をどう復活させていくか。
しかし、日本は、大きな人種問題も宗教問題もなく、二千年の歴史と伝統と文化を育んできた農耕民族です。家族総出で田植を行い、間に合わなければ親族で助け合う血縁、隣の田植が遅れていれば手助けをする地域の縁というきずなを大切にしてきました。この日本の良さを取り戻す必要があると考えますと強く訴えさせていただきました。
古く長い歴史のあるシルクロードのオアシスの国でございまして、農耕民族です。地下資源が非常に豊富でございまして、周期律表にある物質は全てあると言われております。国民性も日本人とよく似ており、温厚、真面目、親切で、極めて親しみやすい人々が住んでおります。親日的で、日本の技術に憧れを持ち、また、戦後の日本人抑留者の業績を高く評価して、日本に対し尊敬の念を抱いてくれております。
朝一番の質問で、自民党の委員の方がもう靖国神社に行ったということで、私も、きょう朝一番で靖国神社に、みんなで国会議員で参拝する会で行ってまいりましたけれども、日本の伝統文化、そして社会というのは農村がしっかりとつくり上げてきた、やはり農耕民族だなということをつくづく感じております。 戦後、工業化して、世界に工業製品を売って成長してまいりました。これは非常にすばらしいことだと思います。
そして、日本人というのはやはり農耕民族なのかな、そんなことも考えたりするんですよね。 どうですか、大臣、副大臣、政務官。私も同じような考えよというのか、いやいや、これからはもう変わっていくのよというふうにお思いなのか。そこら辺を、ちょっとだけで結構ですから、それぞれお答えください。
そして、日本は農耕民族です。私も農家の生まれですが、田植は一人ではできません。おじいちゃん、おばあちゃん、子供も孫も家族総出で行います。間に合わなければ親族で助け合う、これが血縁です。そして、隣の田植が遅れていれば手助けをする、これが地域の縁です。そして、働く者も同じ会社や職場で助け合う、これが職場の縁です。
やはり農耕民族ということもあったんだと思いますけれども、そんなにきちきちとした時間に縛られずに生きてきた伝統がありました。
私は、実はもっと大きく見るべきじゃないかと思っていて、例えば、日本人は農耕民族で、ロジカルに議論するというのは余り得意ではない。だけれども、グローバル社会の中でロジカルに闘っていかないといけないところがあるわけです。そうだったら、論理的に闘っていく国家を担うもの、これがまず司法、法曹でありますね。これを養成するのは法科大学院なんだと決める。
最後になりますが、我が国は農耕民族の国でございます。日の出とともに起きて、日の入りまで働いてきました。晴れの日も雨の日も、空と大地とともに暮らしてきました。 したがいまして、大雨や干ばつは非常に困るものでありました。そこから、天に祈って、自然に対する畏敬の念が生まれてまいりました。このことが神道につながり、我が日本国民のベースとなります勤勉さ、さらには謙虚さにつながってまいりました。
○大臣政務官(齋藤健君) 松井委員おっしゃいますように、元々日本は農耕民族で、自然を大切にし、多くの生き物と共生をしながら歴史を育んできたという、そういう状況にあると思います。
日本の場合は特に、我々は農耕民族であります。瑞穂の国であります。その日本の伝統と文化をしっかりと守ってきた。日本人が日本人であるために、やはり農業は国の礎でなければならない、私はこう思っているわけであります。 その中において、交渉において、しっかりとこの農業、食を守っていくために全力を尽くしていきたい、このように思います。
みどりの風は、日本の伝統文化に根差した社会構造、農耕民族として自然を敬い、共生し、富を分かち合う社会が日本であり、それこそが保守であると考えます。農業に国土を保全する多面的な役割があることを重視する民族です。欧米の市場原理主義は日本になじみません。豊かな自然資源を守るためには、使用済核燃料も増やせないのです。 憲法改正に反対ではありませんが、自衛隊を国防軍にする改正は反対です。
もう一つは、日本人の国民性として、農耕民族に宿ってくる習性というものが原因になっているんじゃないか。 ということはどういうことかというと、我々は、春に種をまき、夏に水と肥料をやれば、秋には食料を得ることができる。サイクルさえ守っていれば、一定の基準さえ守っていれば安心感が生まれてくる。そういうことが、大丈夫だという、そういう油断を生じさせているのではないか。
それで、日本人は、農耕民族であるからなのか、対立という言葉が大変嫌いでございます。私に言わせれば、対立構造というのは敵対というふうになって、そこで働く人々は、異見、異なる意見を言うとすぐその組織の中からはじかれるとか、そういうことが多々ございます。
しかし、今の、現状の中においては本当に時間がない、こういう状況の中で、もっともっと積極的に鹿野大臣を支えながら、ぜひ、日本の農業、農耕民族だ、主食は米だ、このことをしっかり守っていただきたい、このことを要望いたしまして、質問を終わらせていただきます。 ありがとうございました。
そして、農耕民族としての文化を培ってきたこの日本、身近にある農業は心を守り育てるための重要な手段でもあります。都市農業、都市農地はしょせん個人的なものだというのではなく、都市政策、環境政策のレベルで考えていくことはできないのでしょうか。 都市部の農地といえば、あのバブル期のころは地価の値上がりを待っているだけだと言われたこともあります。それに踊った人も確かにいました。
ですから、これは本質的な、政治的な思想の問題なので、大臣、どうしても聞きたいんですけれども、我々は農耕民族、そして慈しみ合って仲よくみんなで生きていくんだということがやはり政治の、日本人としては本質だと思うんです。 そんな中で、アメリカで、これは明らかな失敗ですよね、会社としてはパフォーマンスを失敗した。その失敗した人をただ突き放すというのでは、これはだめだと思うんです。
それに比べると、日本はやはり農耕民族で、私の実家も農家で弟が跡を取っていますから、田植というのは六月に家族総出でやらなきゃいけないんですね。おやじ、おふくろはもちろん、じいちゃん、ばあちゃんも子どもも孫も苗運びで手伝って、間に合わなければ親族でも助け合うという血縁というネットワークで成り立っている。自分のところが終わって、隣の田んぼが遅れていたら助けてあげる、これが地域の縁という地縁でつながる。
もう一つは、農耕民族と狩猟民族なんて言ったらしかられるのかもしれませんが、結局、お魚はどんどん減ったとしてもその分価格が上がりますので、それでトータルの収入というのは余り減らないんだみたいなことが一時期言われたことがありました。今から二十年ぐらい前のお話でございます。農業とそこが違うところがございまして、その辺の特質に着目しながらどう考えるか。